最近の時勢を見ていると

前にも書いたが、民主的な手段が使えない国が、国民のネット世論を恐れているのが面白いと思っていたが、他にも選挙権がないマイノリティの声が選挙結果より優先されたりとか、不可思議なことが多すぎる。
で、これを一種の自己責任論として考えるに、選挙権という形式を整えることで国民の権利と義務を責任論を使って押し付けることができるわけで、皮肉だが民主国家を長く続けることで、その仕組みの形骸化をすすめることが出来てしまい、名目上、理論的に民意や世論を抑えつけることが出来るという、不思議な抑圧方法が実現しているのかなとか。
で、そんな仕組みもない世界では、上手く抑えつけることも出来ないのと、昨今の情報化時代もあって、国民の生の声が有効に機能していると感じる。
そう考えると、日本も情報化な手段を取り入れることで、世論との調整も上手くできそうではあるが、その辺は歴史で造られ、今や形骸化されたシステム自体が重みとなっているので、手も足も出せなくなっているのが残念。
これでは、情報化技術と直接対峙する未成熟な国のほうが、今後は随分まともな仕組みを作れそうな気がしていて、このへんが老衰国家との違いだろうかと考える度に残念になる。