哲学者クロサキのMS‐DOSは思考の道具だ

もう20年前の本か、
VZ使ってあれこれの話で、NIFTYでCDROM出始めの頃のもの。当時としては頑張ってるというか、門下外の人に書かせるあの頃のはしり。
若者では注釈なしでは読めないほどの古さがあるが、やってることはあんまり変わらないのが困る。特に検索まわりとか、この頃からほとんど進化していなくて笑ってしまう。
特に著者が素人の文章が氾濫するのが耐えがたいと言っているが、未だにまったくその気配は衰えず、意味解釈でのノイズ除去すらまだ遠い。その間に、読む方の人間のフィルタリング能力のほうが上がってそうで、その辺が今の違いかな。