2010年の終に寄せて

今年も遂に終わりが来た、今年はあまり変化がなかった最後の年になるはずで、来年はどう転んでいくか見ものな年になるだろう。思えばこのような生活が成り立っていたことが僥倖であって、さすがに年貢の納め時が来たと考えるべきだった。
では他の方法などあったのかと聞かれれば、自分の場合は生きていくのが精一杯だったと言い訳したい。重荷を背負う力も覚悟もなく、あるいはもう少しと思うが、結果としてこうなっているわけで、過去の自分が見てもそうなるだろうなという以上のものではなく、以下でもなかったのが幸いした。
例えば10年前とか思い出すと、最近それ以前の人間を見たこともあるが、あの頃で既に希望も何もなかったように思う。目先のこと以上のものは見えず、将来の見通しなどなかったからだ。その後何度か見通しがひらけたようにも見えたが、結果的に元の木阿弥となり、今の場所に帰ってきた。あの頃の自分から見て今はどうだろうかと思うが、かなり連続的に感じるため、ほとんど違和感がないであろう。
あとは年の問題で、今後は今まで通りどころか、それ以上に苦しむことになるはずで、ということは最初の時よりも低いところに行くということか、だがしかし、これまで生きたのだから十分だとも思う。かつての仕事の人間など、多くがドロップアウトしていく中と考えれば、これでもましだったと言いたいが、そうでない例もあり、もはや解らなくなった。。
明日は今日とは違う明日になるわけで、これがこれまでの総括となるのだが、自分を肯定できるかと聞かれると、これでもまあよく生きていると思うし、さしての能力も努力もあったわけでもないが、相変わらずの受身で、流れるままだったというのが結論か。